Melemedy

すきなことを すきなときに すきなだけ

公演千秋楽のメモと、今日の追記

何にも執着がなくなった、今日。
公演が千秋楽を迎える。

朝瞑想をしていたら、「あぁ、私何にも執着が無くなったな。」と気づいた。
芝居にも、ミュージカルにも、踊る事にも、書くことにも、恋愛にも。

正確に言うと、執着を手放す勇気を持つことが出来た。

でも、この、ふわふわと、頼りない、拠り所の無い感じが、不安でありつつも、とても心地が良いんだと気づいた。

それは決して諦めるという事ではなく、目の前にあるものを、ぽつぽつと、てくてくと、もそもそと、やり続けるという事だと思う。

気張らず、緩やかに。

誰にどう思われていようと、私は私で、私をどう思おうとその人の自由だけど、私を誰かが奪う事は絶対出来ない。という当たり前に気付く。



よしもとばななさんのハゴロモを読んで、何度も涙が滲む。
多分今までのお客様から伺った失った人のカケラが泣かせるのだろう。

演出の意図ではないかもしれないけど、勇気を出して話してくれた事で、その人たちが浄化されたらいいと思ってしまう。

どうしたって願ってしまう。

この世界には美しくない事が山ほどある。
暗い暗い世界で生きている人もいる。
そういう人たちもいて、世界がバランスを取ってるんだと思う。
頭では分かっているのに、そうではない事が起きると私はとても疲れてしまう。

土地の力、土地の夢からは逃げられない。ハゴロモの言葉に納得した。


愛する人が出来て、その人に愛される事があったら、もっと強くなれるのだろうか。

今日のご褒美は、楽日まで頑張ったから、神様が運んでくれたのだろうか。

もう、二度と会えないのかな。

そう思うと手が震える。


この公演を乗り切る為に、プレゼントしてくれたのかな。

やさしいなぁ。
ありがとう。

またどこかで会えるのなら。
会う時に、少しでも良くなっていられたらいいな。



というメモが携帯に残っていた。

そのまま捨てるのは、何だかその時頑張っていた私に可哀想な気がして、日の目を見させてあげる事にした。


あの公演の後から、私の中の変化が止まらない。
それがいい事なのか悪い事なのか、さっぱり分からないけど、というか分かるほど外に形になって出ていないのだけど、でも、毎日私が考えていた事がニンニクの皮を剥くように、ペリペリと剥けていく。

玉ねぎほど大きくない、だろう、私の芯。


執着を手放すということは、多分非常に恐ろしい事で、不安な事なのに、今、こんなにも自由だと思う。

多分それは、孤独を享受する覚悟がようやっと出来たという事なんだろう。


フェスティバルトーキョーで公演していた、『桜の園』と『春の祭典』を見た。

どちらも見終わって一番残っていた言葉は『人間力』だった。


人が人の為にやるものが演劇で、人の力を使ってやるものが演劇で、それはなんとパワフルで、なんと心地が良いものなんだろうと思った。


けれど、私は今悶々と、それだけでいいのかしら?と思っている。

勿論、人の為の芸術なのだけど、
私はここで生かされていて、それを返す場所は人に対してだけでいいのだろうか?という、奇妙な疑問が沸き起こって、正直、今戸惑っている。


これはまだ、何度も思考して、咀嚼して、勉強したりして、みようと思う。


でも、今日のアーティストトークで、矢内原さんの壮絶なお父様の話を聞いて笑いが起こることに、私は物凄い恐ろしさを感じた。

非道徳的な話は転ずると笑いになるのか。
勿論笑った人が悪いとかでは無くて、なんで笑いになるんだろうという、疑問。これも勉強してみよう。


そんな事を考えていたら、今日もあっという間に夜になってた。
もうすぐ今日が終わってしまう。
でも、時間はみんなに平等。って芝居の中で言ってた。
きっとそうなんだろう。