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Melemedy

ただいまロングバケーションちゅう

わたしの幸せを許可する

今回は私がずっと書きたかった事を書きます。
いつも以上に長くなると思うので、お時間ある時に読んでくださいね☆


題名の『わたしの幸せを許可する』というのはmurmur マガジンで出している2015年の手帳に書かれていた言葉でした。


幸せに過ごされてる方にとっては、今更何言うてんの、この小娘は。と関西弁でドヤしたくなるようなテーマだと思います。


でも、わたしには物凄く大切なテーマだったのです。
「今年から私は私の幸せを許可します!」って自分の中で宣言しないとなれなかった。

いや、幸せは幸せでだったんです。
それまでも。
でも、何というのかなぁ。
両手を広げて「私めちゃめちゃ幸せっす!」っていうの何か恥ずかしくて。
ヒロシです…みたいな自虐ネタ好きじゃないですか、日本人。

自分の自虐ネタ、家族の自虐ネタ(それは自虐ではなく他虐か)それで盛り上がる日本人の習性。
自分や、自分の子供や両親の事物凄く褒める人に出会った事ありません。

それは私がそういう人間じゃないから会えないと言うのもありますが、往々にして世間一般であることかなと思います。


で、
ここからちょっと暗くなりますけど(宣言)
私正直な子供だったんです。
教科書でダメと言われている事はダメでしょ!とか言っちゃう子。
自分が傷つけられると、すぐ先生にチクっちゃう子。
そんなんだから、女の子の友達が少なかったです。小学生の頃は。
(人によるかもしれないけど、男の子ってあんまりそう言うの気にしないですよね。へへーんとか言って逃げちゃう。笑)

私の記憶がねじ曲がっていなければ、クラス中の女の子の対私で戦った事があるくらい。

でも、トイレに一緒に行かないと仲間外れにされるのは本当に未だに意味が分からないけれど。


自分が正しいと思って絶対曲げない。
そんなんだから、学生時代は凄く苦労しました。
敵を作る作る。

でも先生に恵まれていたので、何とか学校には通い続けてました。
まぁ学校は行くものだと思っていたし。


ただ、そんな私のやり方が通用しなくなったのが大学です。

一年、ニ年は穏やかだった担当の声楽の先生が三年になって激変したのです。

当時の私は困惑しました。
今思えば、私にとても期待してくれていたんだと思います。

でも私はオペラ歌手になりたいのではなく、ミュージカル俳優になる為に音大に通っていました。
それは先生にも伝えてありました。

私は先生に捨てられないように、必死に必死に食らいついていきました。
レッスンが一小節しか進まなくても、どんなに怒鳴られても、絶対に泣かないと決めて練習しまくりました。
本当に三年の年は360日位練習していたと思います。

「あなたの声が車だったら、人を引き殺してるわよ!!!」


と怒鳴られた声は何度クリーニングしても、まだ薄っすら残っています。

意味は未だに分からないですが(笑)
その当時の私は切羽詰まりまくりです。
余裕が全くない時にそんな事を言われてしまったので
“私の歌は人を殺してしまうくらい酷いものなんだ”と思いました。

拡大解釈も良いところでしたが、
全く褒められないどころか、憎悪しか感じられない位まで追い詰められた私は、
遂に鬱病になりました。

三年の春休み。
どうやって頑張っても起きられないのです。
眠くて眠くて眠くて。

ある時に友人が「それって鬱病じゃない?」と言われ、女医さんのいる病院を探し、『軽い鬱病』と診断された私は一年間通院しました。

薬もガッツリ飲みました。


四年になる前に先生にはその事を伝えました。
だから私は成績優秀者レースからは外れますという意味を込めて。

先生は諦めてくれました。
お陰でちゃんと卒業は出来ました。

でも私の大学三年と四年の記憶はほぼありません。
それ位しんどかったんだと思います。


それなのに私ってやつは懲りないんです。
私自身の非を認めず、反省せず、先生が悪かったんだと他者のせいにして過ごしていました。


ずっと目標だった劇団にはあっさり落ちて、途方に暮れた頃ミュージカルに力を入れている事務所にお世話になる事になりました。

そこで芝居の基礎を学びましたが、懲りない私はそこでも演出家の逆鱗に触れる事になります。

これは本当に100%私が悪いです。
業務連絡の引き継ぎがうまくいかず、公演までに衣装が間に合わないかもしれないという事態にしてしまったのです。

でもその時は、既に演出家に対しての不信感が大きくなり過ぎていて、態度が最悪だったというのもあって、
演出家に劇団員全員の前で二時間怒鳴られ続けました。


私のせいで公演が出来なくなったらどうしよう。
不安で不安で、右半身の痙攣が止まらなくなり、ご飯も食べられなくなり、泣き叫び、母が堪らず事務所に連絡して公演を下ろしてくれと電話をしてくれました。


その後も少し色々あったのですが、
私はその公演を降り、
夢だった舞台上で歌う機会をまた失ってしまったのです。
(衣装はなんとか間に合いました。)


流石に懲りました。
沢山の人に迷惑をかけました。
情けなくて、悲しくて、悔しくて。

それでも信頼するシャーマンからは「演劇辞めるな」って言われるし(先日書いた小川さんではないです。念の為。)もうどうしていいやら。


そして、その頃位から生理痛が物凄く重たくなり、脂汗をかいて、貧血で倒れるようになりました。

ホームでうずくまっていても誰も助けてくれない。
“都会は厳しいなぁ”なんて呑気によく思っていたものです。


今思えば、頑張る事がなくなって、余裕が出来たんだと思います。
体が「これ以上やったらマジで死ぬよー!!」って早目に教えてくれたんだと思います。


そんな私はとにかくこの生理痛を治すために色んな方法を試しました。
物凄く色々やりました。

その中で出会ったのが冷えとりです。
冷えとりとの出会いで、そこから本当に私は元気になりました。
まだまだ伸びしろはあると思いますが、生理も今や爽やかな代物です。


体が元気になると余裕が出ます。

遂に私は自分の幸せという事にフォーカスが向くようになりました。

冷えとりを始めたのが2013年の夏だったので、長かった…。

2015年の手帳を先述の手帳にして、
自分の幸せを考えた時、また体が一気に反応して、ありとあらゆる人間関係を一旦ゼロにしたくなりました。
メールもLINEも整うまで送らないでくれと頼みました。

それに付き合ってくれた私の友達は本当に神様みたいな人たちです。


そのあと、とにかく楽になりたくて、
瞑想して、仕事変えて、色々試しながらもとにかく焦ってました。


そんな時に出会ったのがこのブログです。
『幸せって意外にカンタン』
(リンク許可得てます)


気になる方は読んでみてください。

勿論それまでの色々な積み重ねがあって、最終仕上げみたいな形でこのブログに私はたどり着けました。


ここでは『私たちはそもそも完全な存在なんだよ』って事をひたすらに言い続けてくれています。
宗教ではないですよ、念の為。
色んな角度からその事を伝えてくれています。


今では“私は幸せでいいんだなぁ〜”って素直に思えます。

でも、昔の癖はひょこひょこ出てきて、どーんと落ち込むこともあります。


でも、昔に比べたら、復活までの時間が雲泥の差で早くなりました。

阿保みたいだと思われるかもしれないけれど、空が綺麗に晴れてるだけで幸せになりました。
雨が降っていても“浄化の雨だなぁ〜”なんて呑気に思えるようになりました。


勿論不安な事もあります。
心配もあります。
焦る事もあるし、怒る時もあります。

でも、そんな時は深呼吸して、手をザブザブ洗って落ち着きます。

この世で世界に一人しかいない私という存在を、
私が一番に愛してあげる。


それが、自分の人生の責任を自分で取るという事にも繋がると思います。


世界中の人が、みんな自分の力を信じて、自分を愛してあげたら、
それはきっと美しく平和な世界になると思います。

偽善のように聞こえても、私の一番大きな夢はそれです。


だから、私は幸せを許可し続けます。


自分を愛せず行き詰まっている人にどうか届いて欲しい。
みんなが幸せになってほしい。
楽しく生きてほしい。
楽しくなくても生きていてほしい。

無責任かな。
でもさんまさんが言う『生きてるだけで丸儲け』は本当だなぁって、最近よく思います。

どんな方法でもいい。
「よくやってるよ」と。
「愛しているよ」と。伝えてあげてください。


私も伝え続けます。